三世代が集まると…

このブログは、月一度の更新を続けていたのだけれど、4月は日本に帰っていたりしてあわただしく、5月になって開いてみると、4月の更新がなかったことが判明した。ひょっとして月イチで開いてくれている方、すみませんでした。

4,5月は、世代間の差をいろいろ考えさせられる期間になった。

私は今のところ、日本にも行けているし、トリオとクインテットの練習、生徒のレッスン、バロック・ダンス、最近一つ増やしたブログの更新、メインブログの毎日更新、新刊のフォロー、新著の企画、などまあまあ稼働できているけれど、特に子供を相手にすると以前より疲れやすいのを感じている。

そんな折、昔よく世話をしたAくんの「叙勲」式とパーティに招かれた。
彼は52歳で、20歳の時の最初の日本での研修以来、いろいろと世話したことがある。最初は、昨年亡くなったヨネヤマママコさんのアパルトマンに泊めていただいた。

そんな彼も、フランスに戻ってから15年になるのだけれど、男三人、女三人の6 人の子供がいる。上の3人はすでに大学生、下は中学生二人に高校生一人だが、全員、彼らの母親や、祖母などより背が高い。

正装した6人が並んで微笑んでいるのを見るのはほとんど壮観だ。パリの真ん中の大きなアパルトマンに住んでいるが、親子8人で、全員私立学校となると、なかなか大変だと思う。

パーティの後のディナーで私の横に座ったのは、A君の父親で82歳の元歯科医PH。

息子の叙勲とパーティ、彼が日本にいたころの駐日フランス大使がメインの挨拶をするなど、A君をずっと支えてきた父親のPHはさぞや感慨深く、誇らしいだろうと思った。隣のテーブルにはA君の子供である孫6人が楽しそうに笑いあっているのだ。見ているだけで元気をもらえるだろう。

と思いきや、PHは私に老いと死について話し始めた。この前の記事で亡くなったことを書いた私の代父を最後まで施設に訪問して世話をしたが、その最後の日々があまりにも辛そうだったらしく、自分はああいう風になっては生きていたくない、と言うのだ。
PHは私の代父と同様、庭仕事をしてもプロはだしで、子供や孫におもちゃを手作りするのもお手のもの、彫刻もするし絵も描くし、家事も家の改修、改造もできて、いつも全力で家族のために尽くしてきた。

その彼が、「昔は何でもできていたのに、今はそれができなくなったという現実に打ちのめされている」という。

もともと彼のできることの十分の一もできず、能力もなければやる気もない、健康の秘訣は「疲れる前に休む」という私は、実は「力の衰え」をあまり感じないまま生きている。「若さ」と「老い」の落差は、見た目を別にしたらあまりひどくない。

で、何と答えたらいいか一瞬迷ったけれど、私の答えはつぎのようなものだった。

「以前できていたことが今はもうできない、と考えるのではなくて、今はできないいろいろなことを昔はできたんだ、その成果がこれなんだ、と逆に考えなきゃだめよ。ほら勲章をつけたAくん、大きくなった6 人の孫たち、彼らみんな、あなたが昔はできてすべてを惜しみなく彼らに与え続けてきたことの結果なんだよ。何一つ失われていない。別の形で、未来を確実に広げているのよ」

この答えは、彼が求めているものだったようだ。

彼の表情が緩んだ。

私は過去の本の後書きに、人生の「時」という砂時計は、上の砂が落ちていってついに空になるのではなくて、逆に、持てるもの全部で次の生命をつなげて満たすという使命を視覚化するものだと書いたことがある。砂時計の減っていく部分を見るよりも、少しずつ増えていく部分を見るのが好きだ。

PHは私より10歳年上だ。遺伝子も何も共通点がないけれど、同じ時代を生きてきて、彼の惜しみない利他主義にはいつも感心してきた。

これから私たちの「老い」がどう展開するにせよ、互いの励ましとなれる生き方をしたい。


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