100歳のあり方

「人生100年」とか言われて、老後のための資産形成の話とか、健康寿命を延ばす方法とか、色々な「特集」がシニア向け雑誌をにぎわせている。

元気な90歳とか100歳の高齢者を紹介する記事もたくさんある。
草笛光子さんや横尾忠則さんのように90歳で現役であるばかりか週刊誌の連載まで持っている方たちもいる。

でも、現実には、100歳どころか60代や70代で亡くなったり体が不自由になったりする人の例もいくらでも知っている。

実際、「50を過ぎるとあちこちに不都合がでてくる、60代になるとあれやこれやの検査の数値が悪くなる、70 を過ぎると痛いところも増え、薬も増え、医者通いも増える、80を過ぎると劣化が激しくなる…」などの特集もたくさんあり、脅しなのか、予防なのか、健康食品やらスポーツジムの宣伝なのかというものも少なくない。

でも、昨日、ヴェルサイユにある高齢者施設に100歳の友人を訪ねて、色々考えさせられた。

オディールはソファに腰かけて、私と2時間以上しゃべった。
耳が遠くなっているので私はゆっくりめにはっきり発音しながら大きめの声で話すが、彼女は、滑舌が良く、今すぐどこかで講演を頼まれても楽々とこなせるという感じだ。
6年前の転倒の後で両眼の視力が一気に弱視となり、今は影がぼんやり見えるだけで本が読めなくなったことが最大の悩み。
それまで抜群の視力だったのだから、「治療」はできなかったのかと聞いたが、目の「老衰」だと言われたという。

転倒の後だったから、視神経のどこかが傷ついたのかもしれないし、90歳半ばの人を治療できるようなものではなかったのかもしれない。
でも、100歳でも十分な視力を保っている人もいるのだから、オディールの場合はやはりアクシデントだったのだと私は思う。
転倒事故をきっかけに寝たきりになったり、気力や認知力も衰えたりする人は少なくないから、「治療」は無駄たと思われたのかもしれない。

で、その視力を別にすると、彼女は明晰そのものなのだが、そればかりか、痛いところもないし、「病気」もない。
歩くのは不自由になったとはいえ、娘たちの介助で出かけることもレストランに行くこともできる。
孫やひ孫たちの名や誕生日もすべて覚えていてプレゼントを贈る(娘に頼んでいる)ばかりか、それぞれの仕事や活動についても気を配り、新しい彼女ができるたびにオディールをレストランに連れだして紹介する孫息子もいる。

普通の人が幸運にも100歳に達するまでには、それなりにいろいろな病気もして、手術したり、様々な不自由さ、不便さ、痛みなどと共存しているようなイメージがあったけれど、「病気がない」「痛いところがない」という100歳と話していると非現実的な気さえする。

彼女にもいつか終わりが来るのだろうけれどそれは文字通りの老衰なのだろうなと思う。でも「明晰さ」が衰えそうもないので、そのギャップは大丈夫なのだろうか。普通ならあれほど本を読んでいた人が読めなくなったら、その後でがくっと衰えて意欲もなくなるケースが多いと思う。

「心肺機能」は抜群なのだと思う。水分もほとんどとらずに咳一つせず、2時間も朗々としゃべりっぱなしなのだ。


近頃せき込んでいた私の方が、彼女の前では咳をしないようにと、「のど飴」などをしっかり舐めていった。

100歳でも、無病、痛いところがない、というあり方も可能なんだ、と感動する。

私の同世代では、私のように80代の親をピンピンコロリで見送ったケースもあれば、認知症のまま100歳に達した親を何年も介護した人もいる。

自宅で死期を悟って、周囲にも伝えて、飲食をやめて静かに亡くなった方たちも知っている。

どの立場でも何がいいのかなどは言えないが、たいていの場合、共通して言えるのは、だれにでも親はいるし、その親より先に死ぬことは親を不幸にするということだ。言い換えれば、幸い親を見送ることができた後は、自分の人生、できる範囲で快適に、できる範囲で自立して過ごし、余力があれば他の困っている人や次の世代のためにポジティヴなメッセージを残せるように努力したい。

オディールのような「病気のない」100歳は無理でも、彼女を見ているだけでも元気をもらえるのだから、若い人たちにとって励みになるような生き方を自分も見習いたい、と思った。



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