健康マニアってなんだろう

今にして思えば「健康オタク」だった同年配の友人が、月初めに急逝した。

詳しいことは知らないけれど、股関節も悪く今は歩くのも不自由、大貧血を起こしたり、食欲がなくなったり、ありとあらゆる「不調」があったのに、医者にかかると言うことをしなかった。かかりつけ医を申告するフランスで、まだ誰も決めていなかった。

前に行っていたのは中国人の鍼灸医で、彼女に紹介されて私もこのブログに書いたように数度行ってみたことがある。

これが最初の記事だ。

(この記事を探すためにこの「鍼」でブログ内検索をかけてみたら、興味深い記事が目白押しだった。慢性痛のある人はどうぞ。)

彼女からは、足にいいという靴、一枚で暖かいというシャツ、鍼のパッチ、いろいろなものをもらった。
何かいいものを見つけたと言っては、たくさん買って、友達にあげるのだ。

ビタミンC療法やら、いろいろなものを試して、アメリカから取り寄せたり、日本から来る人に持ってきてもらったり、情報集めと実践のエキスパートだった。シミ取りやピーリングやグレイヘアや、美容についてもカリスマ的な人だった。

バイオ食品や自然療法にも熱心で、もちろん得体のしれないワクチンなどに手を出さない。

いろいろ徹底している人だったけれど、タバコは手離さなかった。
ストレスフルな生活の中で、タバコは絶対の支えとして必需品だった。

だから本当の健康オタクだったのかどうかは分からない。

本当の健康オタクなら、まず最初に禁煙するような気がする。
彼女はタバコの害についてももちろんよく調べていた。
だからその害を相殺するために、必死で「健康食品」「健康器具」を探していたのかもしれない。

そのエネルギーはすごいし、いつも堂々とした姉御肌の人だったから、不死身にも見えていた。
情報収集の情熱も半端ではなかったし、気力だけでもただの人よりも生命力にあふれていた気がする。

私のように受け身で甘えられそうな人にはすべて甘えるのが平気というタイプとは正反対だった。

彼女の急逝の知らせを受けてから私は一度も涙を流していない。
悲しいという気も起らない。

思えば、15年前に母を亡くした時も、旅先で突然倒れて意識を失ったままの2週間半、やることがありすぎて、葬儀が終わるまで、「悲しい」などという感情は起こらなかった。

その数日後かに、兄と電話で話している時、母の話題で少し感情的になって兄に向ってけんかごしの口調になった。昔のきょうだいげんかのように、「おにいちゃまが悪い」という雰囲気になった。突如、堰を切ったように、母の不在が迫ってきて、声を出して泣くことになった。涙がいくらでも出てきた。

その時に知ったのだが、それまで兄は周りの人に「うちの妹は大したものだ。一度も取り乱さず、落ち着いて、まるで悟りを開いた僧侶のようだ」と話していたんだそうだ。

私としてはそれまでとくに泣くまいと感情を封印していたわけではないから、自然な防御反応として現実から一歩乖離していたのかもしれない。
でもその時泣いたことで何か解放されたような気分になったことは覚えている。

だから、2日後に迫った彼女の葬儀で私が突然悲しく思うか涙を流すかどうかもよく分からない。

「喪失感」をどのように生きるかって、関わり方や思い出だけでなく、それぞれの年齢や心身状態も含めた複雑な要素の集合なんだなあ、とあらためて思う。




この記事へのコメント

2023年03月04日 00:13
猫くんと仲良くなる階梯をゲームにするような話がありました。凄く面白くて、いろいろ夢想してしまいました。
実際にタッチして反応するようなセンサーやデバイスが開発できたら、「猫カフェ」に近いゲームができますね。VRと組み合わせれば、それこそ猫くんと戯れる癒しが得られると思いますね。
我が家は二人とも猫好きですが、妻は亡くなった時を想像すると、絶対に飼いたくないと主張します。猫カフェには通うことはありませんが、猫のいるお宅には妻は定期的に出かけます。

コメントを書く場所がわからないので、こちらに書きました。
こちらのブログも示唆的な話題が多く、いろいろと参考になります。
もう手遅れですが、免疫が強くなると言われれている「黒ニンニク」をはじめ手軽に買える健康食品を食べています。
ただ、マニアックに買い求めるよりも、ペットなどとの交流でストレスを軽減したい。
生き物とのコミュニケーションから得られる「癒し」の方が効果は絶大だと思いますがどうでしょう。
最後に、拙ブログへのコメントをいただき、かけがえのない力をもらいました。
ありがとうございました。