左目のその後とコロナ後のバカンス
まず、左目のその後。
ドライアイ防止の点眼をしているのに、相変わらず時々起床時に左目に痛みが走る。
ミクロの角膜表皮剥離だと言われているから、痛んだ時には抗生物質やビタミン12の点眼などしていたものの、どうして左目ばかりなのだろうと思って、ネットを検索すると、最初の事故の影響で角膜が少し浮いている(?)ことがあって、起床時に目を開ける時まぶたにこすれて微小な傷になることがあるとあった。元に戻すための眼帯やら就寝時につける医療用コンタクトレンズが処方されることもあるらしい。
次に眼科に行くのはだいぶ先だと思うので、手のひらでそっとまぶたを抑えたり、朝、目を開ける前に指をそっと添えるなどいろいろ試している。
プールのあるバカンス村に一週間以上滞在したので、目を守るためにゴーグルを買ったのだけれど、着け心地が悪い。
プールの後では生理食塩水で洗い、ミクロの表皮剥離が残っていると思う時は点眼薬を使うなど注意した。ホテルと違ってクーラーがなく、加湿器もなく、からからの天気で、扇風機を回していたからますますドライアイ気味になるのを気をつける。
とりあえず問題なく過ごした。
去年までは少しの規制でも残っているのが嫌でバカンス村は3 年ぶりだったが、この夏は政府がコロナの緊急事態を解除して、専門家会議も解散、もう感染者数の発表もないので、まるでゼロコロナの世界みたいでリラックスできた。
実際はゼロコロナどころか、オミクロンの亜種が増えてそれもピークを越えたとかいうのだけれど、もう誰の話題にものぼらない。
高齢者だから混雑する交通機関やスーパーなどではマスクを着けていたけれど、バカンス村では見事にノーマスクなので一度もマスクを取り出さなかった。戸外がほとんどだし、みんな元気いっぱいだから、コロナの有無にかかわらずいわゆる無症状の人ばかりだろう。
驚いたのは、日本でも夏まつりなど活動が再開されたようなのに、今でもマスク着用がスタンダードであるらしいこと、さらに、症状があると即検査、陽性なら隔離、保健所を通して入院病床がなければ自宅隔離で食事などが配達されるというパターンが今も続いていることだ。
「陽性なら隔離」というのが「症状があるなら治療」よりも優先されているらしく、まるで2 年前と変わらない。
もう今の段階では、何よりも「症状があるなら治療」が最優先であるべきだと思うのに、例の「2 類」感染症のしばりで、町の医院、行きつけの病院、かかりつけ医にすぐ診てもらえない事情が変わっていないようなのだ。
コロナを軽視していいというわけではない。
でもコロナ以外にも感染症はいくらでもあるし、その他の病気も事故もいくらでもある。
そのことが、「コロナに特化されていた規制」がどんどん取り払われてからあらためて実感される毎日だ。
手洗い、消毒などの習慣、抵抗力、免疫力ををつけるための食事や運動、ストレスのマネージメント。公衆衛生のマナー。
コロナ禍をきっかけに「学んだ」ことがたくさんある。「コロナ」にだけスポットライトを当てて「怖れる」時期はもう過ぎたのではないだろうか。
また別のたちの悪い「変異株」だの別の感染症だのが現れて翻弄される日が来るかもしれないし、左目の事故のようなことも起きるかもしれない。それでなくとも「老化」は進む。
まだまだ私を「必要」としてくれる僅かな人々もいるし、残された使命みたいなものも感じる。
心身をできるだけ整えたうえで、その先にある真の「智慧」、本質的なものの希求に挑戦することを絶対に手離したくない。
ドライアイ防止の点眼をしているのに、相変わらず時々起床時に左目に痛みが走る。
ミクロの角膜表皮剥離だと言われているから、痛んだ時には抗生物質やビタミン12の点眼などしていたものの、どうして左目ばかりなのだろうと思って、ネットを検索すると、最初の事故の影響で角膜が少し浮いている(?)ことがあって、起床時に目を開ける時まぶたにこすれて微小な傷になることがあるとあった。元に戻すための眼帯やら就寝時につける医療用コンタクトレンズが処方されることもあるらしい。
次に眼科に行くのはだいぶ先だと思うので、手のひらでそっとまぶたを抑えたり、朝、目を開ける前に指をそっと添えるなどいろいろ試している。
プールのあるバカンス村に一週間以上滞在したので、目を守るためにゴーグルを買ったのだけれど、着け心地が悪い。
プールの後では生理食塩水で洗い、ミクロの表皮剥離が残っていると思う時は点眼薬を使うなど注意した。ホテルと違ってクーラーがなく、加湿器もなく、からからの天気で、扇風機を回していたからますますドライアイ気味になるのを気をつける。
とりあえず問題なく過ごした。
去年までは少しの規制でも残っているのが嫌でバカンス村は3 年ぶりだったが、この夏は政府がコロナの緊急事態を解除して、専門家会議も解散、もう感染者数の発表もないので、まるでゼロコロナの世界みたいでリラックスできた。
実際はゼロコロナどころか、オミクロンの亜種が増えてそれもピークを越えたとかいうのだけれど、もう誰の話題にものぼらない。
高齢者だから混雑する交通機関やスーパーなどではマスクを着けていたけれど、バカンス村では見事にノーマスクなので一度もマスクを取り出さなかった。戸外がほとんどだし、みんな元気いっぱいだから、コロナの有無にかかわらずいわゆる無症状の人ばかりだろう。
驚いたのは、日本でも夏まつりなど活動が再開されたようなのに、今でもマスク着用がスタンダードであるらしいこと、さらに、症状があると即検査、陽性なら隔離、保健所を通して入院病床がなければ自宅隔離で食事などが配達されるというパターンが今も続いていることだ。
「陽性なら隔離」というのが「症状があるなら治療」よりも優先されているらしく、まるで2 年前と変わらない。
もう今の段階では、何よりも「症状があるなら治療」が最優先であるべきだと思うのに、例の「2 類」感染症のしばりで、町の医院、行きつけの病院、かかりつけ医にすぐ診てもらえない事情が変わっていないようなのだ。
コロナを軽視していいというわけではない。
でもコロナ以外にも感染症はいくらでもあるし、その他の病気も事故もいくらでもある。
そのことが、「コロナに特化されていた規制」がどんどん取り払われてからあらためて実感される毎日だ。
手洗い、消毒などの習慣、抵抗力、免疫力ををつけるための食事や運動、ストレスのマネージメント。公衆衛生のマナー。
コロナ禍をきっかけに「学んだ」ことがたくさんある。「コロナ」にだけスポットライトを当てて「怖れる」時期はもう過ぎたのではないだろうか。
また別のたちの悪い「変異株」だの別の感染症だのが現れて翻弄される日が来るかもしれないし、左目の事故のようなことも起きるかもしれない。それでなくとも「老化」は進む。
まだまだ私を「必要」としてくれる僅かな人々もいるし、残された使命みたいなものも感じる。
心身をできるだけ整えたうえで、その先にある真の「智慧」、本質的なものの希求に挑戦することを絶対に手離したくない。
この記事へのコメント
別口コメントのアドレスをご指示くださいましたが、公共の掲示板だったせでしょうか、広告の過激さに怖れをなして、出さずじまい。
あれこれ思案していたら、こちらのブログを再発見しました。
カナダ旅行前に、目を怪我なさっていたとは・・。で、この記事を読んで、また改めて日本のコロナ対策の迷走ぶりが指摘されていました。
マスク社会でありながら、世界トップの感染者数をだしていた日本では、いま高止まりの状況が続いています。医療施設逼迫のなか、治療を受けられず中等症で亡くなる方も多いとのこと。
コロナ感染を5類に指定することのメリットを再考したり、陽性者への適切な医療対応、検査体制の整備など、政府がとるべき施策はのっぴきならないほど迫られている。
なのに、なぜ悠長なのか。たぶん、利権がらみと組織安寧維持ががっちり嚙み合っていることは確かです。
さて、実は本ブログの『「権力者の妻」とサル社会』を読み、Sekkoさまが山際ゴリラについて書かれているのが嬉しくて、コメントをしたためようとした次第です。
「社会をどうつくるかということと、オスの暴力をどうやって抑えるかということは関連がある」って、すごい。権力者と配偶者との関係の重要性についてあらためて考えてしまう・・・・。
まさに、この結文のように、歴代の権力者は99%がオスであり、配偶者のある意味匙加減で存亡の行く末が決まる。
オスを盛り立てるのか、けしかけるのか、アドバイスその他指示をだすのか、黙って見守るのか・・無視されてただ泣き寝入るのか・・、女性の力量で社会、国がどうとでも変わる、そんな可能性がある。そういう認識のキャパシティが男には供わっていない。
人間をゴリラやチンパンジーと並べる人類サル学ですが、おなじようなDNA遺伝子をもつボノボもいます。こっちの研究はまだまだ未開拓です。
彼らは暴力とか権力をもつことにつながるヒエラルキーを徹底的に作らない。自由と遊びと快楽です。ちょっと怖い社会ですね。
コミュニケーション・ツールは、言語らしきものはあるらしいのですが、性器による挨拶が筆頭です。
ちょっと長くなりました。コメント送信が可能か、いったんここまでとします。
こちらへのコメントは、小生でもOKなんですか? では。
コメントありがとうございます。
このブログも引っ越しを余儀なくされた後で、アクセスする前にいちいちゲームみたいなのをやらされたり面倒なのですが、前のブログはフランスからのコメントが不可能になっていたのが今回はOK でした。
>別口コメントのアドレスをご指示くださいましたが、公共の掲示板だったせでしょうか、広告の過激さに怖れをなして、出さずじまい。<<
この新アドレス、私が開いたら広告はゼロです。今管理人さんに、サイトからリンクできるように頼んでいるところですが、広告をカットできるのかどうか聞いてみます。無料掲示板なのでどういう基準でどういう広告がついてくるのかは分かりません。
コロナについては、ついては、つい最近、水際対策を緩和する方向、というニュースを読んで、それならこの秋に3 年ぶりに帰国しようかと思っているところです。でも、もう秋の講座などは予定がつまっているようで、読者の皆さんとお会いできる方法を考えているところです。ポンマンやカナダのお土産もたくさんあるので。
フランスを発つ前のPCR検査がなくなりスマホなしでも入国できるか待っています。
>「社会をどうつくるかということと、オスの暴力をどうやって抑えるかということは関連がある」って、すごい。権力者と配偶者との関係の重要性についてあらためて考えてしまう・・・・。
>
>まさに、この結文のように、歴代の権力者は99%がオスであり、配偶者のある意味匙加減で存亡の行く末が決まる。
>オスを盛り立てるのか、けしかけるのか、アドバイスその他指示をだすのか、黙って見守るのか・・無視されてただ泣き寝入るのか・・、女性の力量で社会、国がどうとでも変わる、そんな可能性がある。そういう認識のキャパシティが男には供わっていない。<<
そうなんですよね。しかも人間は成年に達するのが遅くて母親依存の期間が特別長い動物ですから、本来は、「母親の権威」にすがって生き延びてきたわけです。やがてその母親より、「大きく強く」なった時点で、「乗り越えた」感を持って「女子供」を支配するようになる。必然的にシンボリックな「父殺し」というのもあるわけで、若いボスが年寄りボスにとって代わる。でも、日本の社会ってジェロントクラシーで、「長老」が偉い、という文化があるので実は洗練されていたと思うんですよ。それがいつの間にか「老害」が唱えられ、若くて強くて大きいほどいいといったビジネスが席巻しています。
テストステロンの効用はもちろんあるので、「より強く」という願望がなければ人間の文明は成り立っていなかったでしょう。
ボノボ風の自由と快楽と遊びだけでは、医療も文化も、文明の利器も得られないわけで、私は人間のオスたちの競争原理と拡大志向に感謝しています。
でも、結局「精力善用」のモラルでバランスを取らない限り、オスが殺し合う歴史は途切れないわけで…。
やはりオスをいい方向に導くメスの教育が一番必要なのかも。その意味で、オスを敵扱いするアングロサクソン型フェミニズムは不毛です。オスの戦いにメスまで加わってどうするんだ、と思いますね。